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越秀区 / 荔湾区 / 海珠区(中心部)
訪問日:20--年-月-旬 『大陸西遊記』~
広東省 広州市 越秀区(中心部) ~ 市内人口 1,300万人、 一人当たり GDP 150,000 元(市全体)
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広州府城(番禺県城、南海郡城、興王府城)と 城壁跡
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四方砲台跡(越秀公園内)
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旧租界地エリアの 沙面地区に残る 西寧砲台 と 西固砲台跡
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林則徐紀念公園 と 東砲台跡
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南越国宮殿跡 と 王宮博物館
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粤王井(広州市内で 最古の井戸)
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北京路千年古楼遺跡(発掘調査で出土した 宋代、明代の石畳の路面)
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東濠涌博物館(かつての 東面の外堀跡)
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広東省博物館
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越秀区博物館
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広州十三行博物館 と 広東外事博物館
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中山大学
【 越秀公園 と 鎮海楼 】
現在、越秀公園内にある 観光名所・鎮海楼(下写真)が、広州歴史博物館となっている。その周囲には広州城時代の城壁が残され、かつての壮大な城郭都市の威容を今に伝える。
この鎮海楼は何度か建て替えが行われているが、明代初期の建造が最初とされる。 終始、広州城の物見櫓として機能し、広州城のシンボル的存在であり続けた。
下の模型は、広州歴史博物館内に展示されていたもの。最も北側の山上に鎮海楼 がそびえ立っていたことが伺える。
当時の長大な城壁群は、非常に残念なことに、都市開発の過程で、 すべて撤去されてしまっている。
しかし、現在でも市街地に残る地名には、かつての記憶が刻み込まれている。 地下鉄「西門口」駅、西門口広場、紙行路(紙業者が軒を連ねていた通り)、小北路、環市東路、大南路、 広州起義路、東濠涌博物館、東関汛、長塘街、東堤馬路 など。
第二次アヘン戦争の折、珠江を遡ってきた英国海軍により艦砲射撃を受け、また、 上陸軍により周囲の砲台陣地も占拠されるに及び、広州城は開城に追い込まれることとなった。
下絵図は、広州城を攻める英軍兵士。現在の越秀公園内に残る四方砲台が占領されたときの様子。
下地図は、1860年当時の広州城の様子。すでに清国の主要港町は対外開放されており、 各所で外国の商館が設置されていた。
広州城下の場合、南西部の河沿いに出島のような形で、居留地(租界地)が設けられていた。 下地図の左下の SHAMINとは、「沙面」のことで、現在の沙面街一帯を指す。
今日、当地にある広東外事博物館は、1890年に建設されたフランス広州領事館の建物が転用されている。
沙面地区(旧租界地)の東隣にある「十三行小区」とは、 かつて外国商人らと特権的に貿易取引が許可されていた商人らが活動したエリアの名残である(広州十三行博物館)。下写真。
地下鉄・北京路駅周辺の広后街小区一帯には、昔ながらの狭い民家や商家などが 数多く現役で残る(布古村)。
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