ホーム
中国地図 ~
三国志 遺跡 ~
中国 オススメ
世界の城郭
日本の城
歴史 雑学
城郭都市 概説
当研究会 情報
中国地図 から
≫
寧夏回族自治区 地図
≫
石嘴山市
訪問日:20--年-月-旬 『大陸西遊記』~
寧夏回族自治区 石嘴山市 ~ 人口 74万人、 一人当たり GDP 56,000 元
➠➠➠ 石嘴山市内の 城跡リスト ➠➠➠
▼
クリック
▼
平羅県城
【 石嘴山市の 歴史 】
この地域は、西周~春秋戦国時代にかけて、北方遊牧民族らの居住区であった。
中国本土を統一した秦王朝の時代、北地郡富平県の管轄下に入ることとなる。
前漢時代には北地郡方梁県、後漢時代には北地郡廉県の下に置かれた。
南北朝時代、北魏王朝下の歴城郡建安県に帰属した。そして隋朝の時代には、霊武郡霊武県の下に入る。唐代には警州に、北宋時代には定州に帰属した。一時的に西夏の支配下に入るも、元代には定州管轄下に戻された。明代の 1551年、平虜千戸所と地名変更される。
清代に入ってすぐ、平羅所へ改称される。1724年には 平羅県が設置された。元来、黄河上流域にあたり、土地が手狭であったこともあり、古代より黄河の河原西岸一帯の埋め立て工事が進められてきた。 これにより、西岸の土地面積は拡大したものの、徐々に、その東岸に土砂が堆積するようになってしまう。 1784年、陝粛総督の奏准により河岸整備が行われている。
中華人民共和国が建国されて初めて、この地は石嘴山と命名されることになる。
なお、現在の石嘴山市街区は近代以降に開発された都市であり、歴史的な遺産は特にない。かつては長城防衛のための狼煙台が置かれるなど、小さな集落が形成されたに過ぎない。
南東へ 20 kmのところにある、黄河流域の平羅県には、かつて清代に設置された県城跡が残る。城壁は撤去されてしまっているが、路地名がはっきりと古の時代を物語っていた(鼓楼街、環衛路、北門超市 など)。また、かつて時報の金を鳴らしていた、鼓楼跡も保存されている。
© 2004-2025 Institute of BTG
|
HOME
|
Contact us