1902年秋、フランス極東研究所の建築学者
Henri Parmentier(1871~1949年)と 写真家 Charles
Carpeaux
(1870~1904年)により発掘調査が進められ、貴重な遺跡群が世界に発表されることとなった。
しかし、第一次インドシナ戦争(対仏独立戦争)および、第二次インドシナ戦争(対米ベトナム戦争)を通じて、この歴史的な遺産は壊滅的な打撃を受けてしまう。
17:30ごろから徒歩で帰路につき、Nguyen
Chi
Thanh通りの南下の途中、韓国料理屋で飯を食べた。シ―チキンサラダと寿司で、136,000ドンだった。
そのまま、さらに南へ歩を進めると、日本料理屋を発見した。 カレーライスが
115,000ドン、ラーメンが 95,000ドンぐらい。ちょうど、Nguyen Chi
Thanh 通りと、Hung Vuong 通りの交差点付近だった。
周囲には、マッサージ屋やカラオケ店がひしめいていた。
その他にも、ダナン市内では各所に日本料理屋が見られた(ハン川沿いの Bach
Dang通りなど)。
夜食は屋台で食べたが、全く腹に当たることはなかった。30,000ドンや
38,000ドン、40,000ドンで、ご飯は自由におかわりでき、下痢にならない程度の衛生環境が保たれているのは、大陸中国では考えられないレベルだ。ひと通りの 定食(お茶、スープ、ご飯、魚 or 鶏肉、サラダ)が食べられ、味も十分に満足で、コスト、質、サービスともにすばらしかった。