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新北市 瑞芳区
訪問日:20--年--月-旬
台湾 新北市 瑞芳区 ~ 区内人口 4.3万人、一人当たり GDP 26,000 USD(台湾 全体)
➠➠➠ 見どころ リスト ➠➠➠
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映画『千と千尋の神隠し』の 舞台・九份 旧市街地
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九份金鉱博物館
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金瓜石 黄金博物館(新北市立黃金博物館)
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瑞芳区の 歴史
台北駅
から地下鉄 MRT(板南線)で、忠興復興駅まで移動する。
ここにある、SOGO前のバス停から、1062番路線バス(基隆客運バス)「金瓜石」行に乗車する(15分に 1本。乗車時間 90分)。
そのまま、映画『千と千尋の神隠し』の舞台とされる 観光地・九份を通過し、終点「金爪石」まで向かった。ここは、かつての金鉱山跡地であり、往時の栄華を残す、日本人社長宅(三毛菊次郎)、迎賓館、労働者社宅群 などを見て回ることができる。また、新北市立黄金博物館では、実際に金鉱山の洞窟も視察できるという。
その後、タクシーに乗り、九份を訪問する。当地は、夕刻前ギリギリの時間帯がベストだと聞いていたので、ちょうど夕方前を見計らっての到着であった。ひと通り、視察後、帰路で訪問客が混み出す 18:00前ぐらいに、すぐにバス停に並ぶ。
ちなみに、4人乗りタクシーをチャーターすると、
台北市街地
まで 1,000 TWDという。
【 瑞芳区の 歴史 】
1900年前後に北迴鉄道と 宜蘭線が開通される以前、当時まだ陸路交通が不便であったため、
台北地区
の貨物輸送は基隆河の水運がメインであった(下地図)。瑞芳地区では、柑子瀨(Kam-á-luā)が船着き場となっていた。現在の瑞芳区柑坪里に相当する。台北地区から
噶瑪蘭(今の 宜蘭県)
間の 交通ルート上、必至の場所となっていた。
このタイミングで、金瓜石、および九份の山間部で金鉱脈が発見されると、金採掘をねらう山師らが多く入山するようになり、その交通ターミナルへと変貌する。 この基隆河との船着き場であった 柑子瀨(下地図)には、連日、多くの男たちが足を運ぶようになり、この人流を見越して、雑貨屋が一つ、開店される。多くの鉱山従事者らがこぞって立ち寄ったことから、雑貨店は地名と合成されて「柑仔店」と通称されるようになる。彼らは採掘作業を終えて、台湾島各地へ戻り、その 雑貨屋「柑仔店」の存在を地元に伝えることで、時と共に、「柑仔店」が台湾島内における雑貨屋の代名詞として定着することとなった。
その後、「柑仔店」が「瑞芳」へ改名されると(上地図)、引き続き、台湾島の南北から日用品が集まる雑貨店として繁盛し、山間部の金採掘場従事者や
台北
から
噶瑪蘭
へ戻る旅人らが中途に立ち寄り、休息する場を兼ねることとなった。また、人々の待合場所や集合場所としても援用され、「瑞芳へ行く」とか、「瑞芳からの戻り」などと会話が一般化し、地名と一体化して使用されていく。しかし、鉄道が開通し、龍潭堵に駅を開設すると、瑞芳地区の中心は、この鉄道駅側へと移り、もともとの船着き場エリアは寂れていくのだった。
日本統治時代、台北州基隆郡下で瑞芳街が設置される。この鉱山地帯で、1940年5月27日、鉱山会社 社長・李建興(1891~1981年)が大陸中国政府と結託し、台湾日本政府の転覆をはかったということで、100名あまりの工員らととも日本憲兵隊に逮捕される事件が発生する。全員収監された後、20人あまりが獄死しており、台湾では 瑞芳事件(五二七事件)として知られている。
1945年に終戦を迎えると、台北県瑞芳鎮へ改編され、2010年に新北市瑞芳区となり、今日に至る。
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