ホーム
中国地図 ~
三国志 遺跡 ~
中国 オススメ
世界の城郭
日本の城
歴史 雑学
城郭都市 概説
当研究会 情報
三国志遺跡 から
≫
上海市
市名
地区名
三国志 史跡一覧
上海市
上海市全体が
陸地化された
のは、唐代初期。
三国時代には、
その半分が海で
あった。
松江区
小昆山: 陸機・陸雲 兄弟(陸遜の孫)故郷遺跡
呉の 名将・陸遜(183~245年)の故郷ともいわれ、当時、 呉郡呉県下の華亭村があった。周囲には小山が 9つ連なる 平原エリアで、肥沃な農地が広がっていたと考えられる。
この呉県東部エリアを支配した 名家・陸家に誕生した陸遜は 21歳より 孫権に仕え、最終的に丞相の地位にまで上り詰めることとなる(244年)。 関羽を討伐し荊州を併合した功により、同 219年、正式に華亭侯に 封じられ、当地の統治権を追認される。
以後も陸家代々の封地であり続け、陸遜の死後、次男の 陸抗(226~274年)が継承し、 続いて子の 陸晏、陸景、陸玄、陸機、陸雲、陸耽らに分割継承されるも、 西晋軍との戦争で敗死した三兄らの後、陸機、陸雲の二兄弟は再び故郷に 戻り、勉学に励むこととなる。後に西晋朝に出仕するまで、当地の小昆山の 麓で過ごしたという。
青浦区
青龍鎮
219年、呉の孫権がこの港町を 主力軍艦・青龍の母港に定める。
金山区
万寿寺
232年、呉の孫権が帝位につき、母の養父母のために建立した寺院
金山区
金山区の沖合に浮かぶ 3つの 島(大金山、小金山、鳥亀山)
は、 かつて陸地で上海エリアとつながっていた。南宋時代初期の 1180年 ごろに、地殻変動により平野部が水没してしまい、以後、現在まで 海上の離島となっている。
未だ陸続きであった三国時代、その大金山の山頂に、呉 4代目皇帝の 孫皓が、前漢朝に仕えた 武人・霍光を祀る廟を設置する。当時、一帯 の海岸エリアは度々、高波や暴風で被害を受けており、これを鎮める ための祈祷所であった。以後、孫皓は時折、この金山廟を訪問し、 天災防止を祈ったという。しかし、孫皓は 280年5月に西晋の侵攻を受けて降伏し、 三国時代を終焉させることとなる。
現在、この島嶼エリアは、生物実験用のサルの群れが放し飼いされており、 無人島となっている。観光目的に立ち入ることはできない。
© 2004-2024 Institute of BTG
|
HOME
|
Contact us