この騎馬像を写真撮影していると、20~30代ぐらいの二人組の地元男性が「これは誰か知っているか?」「彼の銅像は近くに他にもあるよ」などと話しかけてきた。筆者が日本人で観光していると伝えると、日本のゲームや文化は好きだ、と大はしゃぎしていた。あまりにノリノリの二人組に対し対応に困惑していると、たまたま脇を通過した二人組の若い母親女性が「Do
you need help
??」と声をかけてくる。「大丈夫です」と言ってやり過ごすと、二人組の男が「こんな美人のオファーを断るなんて!」とか言うので、「イヤイヤ、俺は君たちを選んだんだよ」と返しておいた。ちょうどいいタイミングだったので、話を切り上げて「先へ急ぐから」と伝える。
ポーランド人はその苦難と忍耐の長い歴史から、外来者には同情的で友好的な印象を受けた瞬間だった。
上写真右に見える、樹木の枝のようなコンクリート製の支柱が特徴的な ヴロツワフ市場会館(Wrocław
Market
Hall)は、建築家 リカルド・プリューデマンの設計の下、1906~08年に建設されたものである。
当時、同じデザインで設計された大小 2つの市場会館が建設されていた。それぞれ Hala
Targowa と、Ulica Kolejowa と命名される。
これらは、ドイツ帝国支配下の当局により、旧市街地で行われていた野外市場を一か所に集めるため施設として整備されたもので、完成後、すべての路上屋台商人らが入居させられたという。
第二次世界大戦の戦時下にあって、 Hala Targowa
の方はほとんど無傷で生き延びるも、Ulica Kolejowa
の方は大きく損壊してしまう。前者は軽い修復工事を経て、再び屋内市場として再スタートを切るも、後者は戦後期もほぼ廃墟のまま放置されることとなり、最終的に
1973年に全面取り壊し処分となってしまう。このため、現存する Hala Targowa
=ヴロツワフ市場会館(Wrocław Market
Hall)のみが稼働中というわけだった。この市場会館も、1980~83年、および
2018~19年に全面改修が手掛けられ、現在のような様相に落ち着いたという。