①
こうして別動隊を切り離した後、武田信玄はさらに本軍を二隊に分け、わざと兵糧や武具などを満載した小荷駄隊を、道幅の広い三増峠へ進入させ搬出を優先させているように見せかける。すぐに北条氏邦・氏照兄弟の北関東軍がこれを急襲し、武田の荷物守備隊は壊滅的被害を受けるも、この護衛役を司った浅利信種が何とか時間稼ぎのために寡兵ながら奮戦する。
②
このわずかな間に、後方にあった武田本隊が三増峠の西側へ退避し、山を背に高台に上り陣を構える。
こうして、①の武田の 決死隊(荷物守備隊)を突破した北条軍と、信玄本隊との間で直接対決が始まる。戦闘前には、北条方が高地に陣を敷いて有利であったが、この瞬間に攻守が逆転し、北条勢が低地から攻め上がる形で武田軍と戦う羽目になったわけである。しばらく死闘が続いた後、いよいよ志田峠を逆走して戻ってきた山県昌景の率いる
5000の先発軍が、北条方の脇腹へ突撃し、北条軍は総崩れとなり潰走してしまうのだった。