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岡山県 岡山市 ②(庭瀬)
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岡山市 ③(備中高松)
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岡山市 ①
訪問日:2020年1月中旬 『大陸西遊記』~
岡山県 岡山市 ① ~ 市内人口 72万人、一人当たり GDP 290万円(岡山県 全体)
➠➠➠ 見どころ リスト ➠➠➠
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岡山城
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城下町 と 西国街道(山陽道)
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明禅寺城 と 古戦場跡
関西方面から JR線で岡山入りする。
ただし、ホテルは岡山市内よりも
倉敷市
内の方が安いので、倉敷から日帰り往復して岡山市中心部を観光することにした。
JR岡山駅に到着後、東口を出て右側の新幹線高架下にある、レンタル自転車サービス「駅リンくん」窓口(営業時間 7:00~21:50)にて、自転車を借りる(一日 400円)。
岡山市内では、岡山城とその城下町、西国街道(山陽道)一帯、および、藩主庭園を改修した後楽園を見学する。後楽園内に、岡山県立博物館があった。
その後、レンタル自転車で 明禅寺城跡(岡山市中区沢田)へ行ってみる。
ここは、宇喜多直家(1529~1582年)が、戦国大名へとのし上がる決定的な戦場となった場所である。
毛利氏と組んで備中を統一した三村家親は、続いて備前国へも侵攻を開始すると、瞬く間に岡山平野一帯を占領する(1564年)。しかし、戦闘では太刀打ちできないことを悟った宇喜多直家の計略により、 1566年に家親が暗殺されると、その子の元親が仇討ち戦争を仕掛け、翌 1567年には岡山平野東端の明禅寺城まで占領して対宇喜多の最前線基地とする。三村氏の快進撃はここまでで、その後、宇喜多直家の反転攻勢に遭い、明禅寺城は落城、その後詰として援軍に来ていた元親本隊も大敗を喫してしまうのだった。
以後、岡山平野を再平定した宇喜多直家は、それまで東の山岳地帯にあった 亀山城(岡山市東区沼。別名:沼城)から、本拠地を岡山平野中央の石山城へ移し、その子の宇喜多秀家が石山城を大改修して「岡山城」へ改称 するわけである。下絵図。
上絵図は、17世紀初期の 藩主・池田家時代に作成された『備前国九郡地図』。右から、邑久郡(薄黄色)、上東郡(赤色)、上道郡(みず色)、三野郡(オレンジ色)、兒嶋郡(離島部分)の各行政区が色分けして描かれている。この時代、まだ
児島、下津井地区
は離島であった。ここから江戸時代を通じて干拓が進められ、最終的に備中平野として児島地区も本州と接続されることとなる。
左下には、ありし日の
下津井城
が描かれている。池田家により大改修された天守閣が見える。それから間もなくの 1639年に一国一城令が適用され、下津井城も廃城となり破却されてしまうのだった。
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