そのまま路地を南進していると、コンヴィクツカー通り沿いに、小さなドーム型教会を発見した(上写真右)。正式名称は、「Rotunda
of the Finding of the Holy Cross」といい、
1125年頃に建立された、ロマネスク様式の教会である。 当初は、
南郊外の ヴィシェフラット(Vyšehrad)地区からヴルタヴァ川沿いに通じる街道上にあった、小さな村落のための教会で、周囲には共同墓地が設けられていたことが判明している。プラハを欧州最大級の都市へと発展させたカール
4世の治世下の
1365年頃、新設された新市街地区にあって、地区レベルの教会へ格上げされていたことが史書で確認されている。
そのまま王城へ向けて西進していると、マラーストラナ広場前を通過する(上写真左)。広場中央には 聖三位一体柱(Column
of the Holy
Trinity。左手の塔)が立地し、その後方には巨大な 聖ニコラス教会(聖ミクラーシュ教会。入場料
70コルナ)が控えていた。聖三位一体柱はペスト流行の終焉を感謝すべく
18世紀に建立されたもので、欧州各地に設置されたものの一つという。特に有名なものとして、2000年に世界遺産に登録された、オロモウツ市の聖三位一体柱がある。
フス戦争。神聖ローマ皇帝ジギスムント vs
プラハ市民のフス派。
前半期は、フス派を率いた戦術家 ヤン・ジシュカ(1374~1424年)が活躍し、ローマ教皇が支援したカトリック十字軍を圧倒する。戦争後半では、フス派の理解者だったポーランドと、ドイツ騎士団との紛争に巻き込まれ、フス派は壊滅し戦争は終結する。