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訪問日:20--年--月-旬 『大陸西遊記』~
雲南省 昆明市 官渡区 ~ 区内人口 91万人、 一人当たり GDP 120,000 元(官渡区)
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谷昌県城(官渡区黑土下凹村 あたり)
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官渡古鎮(蝸洞、 官渡県城)
昆明市中心部のホテルに近い、 地下鉄一号線上の「交三橋駅」から電車に乗る。そのまま一路南下し、「星耀路駅」で下車する(約 20分)。
その西側にある 官渡古鎮(域内に 官渡区民族博物館、烏銅走銀博物館、昆明碑林博物館の 3博物館あり)と、雲南省博物館(月曜日休、9:00~17:00)をめぐる。
往時には、宝象河の下流域に発展した 港町・官渡古鎮も総面積 17 km2 あったというが、現在は 大門(大牌坊)周辺の 1.5 km2 にも満たない敷地のみが保護区に指定されている。
現在、この保護区内では、元代、明代、清代を彷彿とさせる古民家や 寺院(主要 6寺)、廟所(主要 8廟)、楼閣(主要 7閣)、伝統庭園(五山)などを散策できる。
【 官渡区の 歴史 】
戦国時代後期の紀元前 279年、楚の遠征軍を引き連れ滇池地区に進駐した 庄礄(?~紀元前 256年)により、当地の部族勢力らが平定され、滇池の湖岸エリア一帯を領地とする 古滇国(王都は現在の
昆明市晋寧区晋城鎮
に開設)が建国される(紀元前 277年)。
その後、秦朝、前漢朝に帰順するも、再び独立の動きを強めたため、 紀元前 109年、前漢朝 7代目皇帝・武帝が郭昌を総大将とする遠征軍を派兵し、雲南省東部を再併合すると、旧王都であった滇池県城を郡都とする益州郡が新設される(24県を統括)。下地図。
同時に新設された谷昌県が、現在の官渡区一帯を統括することとなる。県役所は、現在の昆明市の約 5~7 km東(官渡区黑土下凹村 あたり)に開設された。下地図。
なお、この「谷昌」の由来であるが、古滇国の傘下にあった 地元部族長(谷昌王)の名称の発音を漢字で当てたものという。すでに存在した城塞集落を転用する形での県役所の開所となった。
三国時代、蜀により 建寧郡(郡都は味県城)が新設されると、これに属した(225年)。
以後も、谷昌県はそのまま継承され、西晋朝時代には 益州郡(303年新設)に、南北朝時代には晋寧郡に属した。
隋代初期に 昆州(今の
昆明市西山区碧鷄関
)が新設されると、谷昌県が廃止される。
唐代に復活設置された谷昌県城であるが、直後の 618年に廃止されると、同年、旧昆州城跡(今の 昆明市西山区碧鷄関)に益寧県が新設され、現在の官渡区一帯を統括した。下地図。
唐朝の勢力を雲南省から排除し、大理国が同エリアを統治すると、 湖畔一帯を支配した 部族長・高氏が行政府を西岸の益寧県城から、東岸の 官渡区官渡古鎮(当時、蝸洞と通称されていた)へ移転する。
この滇池の北東岸にはすでに湖畔交通の 拠点都市「蝸洞」が形成されており、それを追認する形で行政府を設けたのだった。
なお、「蝸洞」の地名ですが、4000年以上前にすでに古代人類が当地に集落地を形成し、滇池湖畔で漁業する傍ら、螺螄(タニシ)も食していたとされ、そのタニシの殻が山のように一帯に積み上がっていたことから、このように通称されるようになっていたという。
つまり、これが今に残る官渡古城のスタートとなったわけであり、現在の官渡古鎮下の古民家群は新石器時代から立地した集落地、その貝塚の上に建設されているのだった。
移転後、滇池を経由して昆明城下へ移動する際、
昆明城【今の五華区】
下の港町や西岸の旧益寧県城下へ渡る 船着き場(渡口)が当地に設置される。上地図。
これ以降、滇池湖畔の漁舟や公船も当地に寄港することが常となり、交易物流都市としての地位を確立していく。
なお、公船で移動する役人らは当地で駕籠や騎馬を降りて湖畔各所へ出航したので、いつしか官渡と呼称されるようになったという。この流れは大理国、元代も継承され、交易都市はますます繁栄を謳歌したのだった。上地図。
元代の 1275年、鄯闡府(今の五華区)が善州へ改編されると同時に、昆明県(今の五華区)と 官渡県の二県が新設され、両県を統括した。その後、全国で州制度が廃止されると、善州は中慶路へ再改編される。同時に官渡県も廃止され、昆明県に吸収合併される。
なお、この 旧官渡県城(官渡古鎮)で最古を誇る妙湛寺は、この元代の 1295年ごろに最初に建立されている。幾度かの兵火や地震で焼失しながらも、何度も建て替えが実施されてきたという。
明代、清代にはますます商業が活発となり、手工業が集積する土地となる。
清代後期の 1870年ごろ、管轄下の郷が堡へ改編され、当初は 48堡を、後に 42堡を統括することとされた。その中の 官渡堡、永福堡、餌琮堡、阿角堡、前衛堡、西岳堡、普自堡、望城堡、螺螄堡、矣苴堡、厳家堡、雄川堡、大樹堡、敷澤堡、小庄堡、坡羅堡、金馬堡、小壩堡、板橋堡、長坡堡、蓮花堡、永豊堡 などの行政区は、現在でも官渡区内にて存続されている。
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