ホーム
中国地図 ~
三国志 遺跡 ~
中国 オススメ
世界の城郭
日本の城
歴史 雑学
城郭都市 概説
当研究会 情報
中国地図 から
≫
甘粛省 地図
≫
張掖市
訪問日:20--年-月-旬 『大陸西遊記』~
甘粛省 張掖市 ~ 人口 121万人、 一人当たり GDP 17,500 元
➠➠➠ 張掖市内の 城跡リスト ➠➠➠
▼
クリック
▼
張掖郡城(甘州府城)
【 張掖市の 歴史 】
この地は、古くから西域民族の居住区であった。前漢時代、7代目皇帝・武帝 の命により派遣された 征西将軍「霍去病」は、匈奴軍を撃破し、 西域側へ広大な領土を確保することに成功する。 早速、西域統治制度の整備が進められ、紀元前 121年、この地に張掖郡が設置された(この地名は、漢帝国の国威は強大にて西域をも制す「張国臂掖、以通西域」という言葉から由来するという)。以後、この地はユーラシア大陸東西を結ぶシルクロード上の重要な交易拠点の一つとして発展していく。
北魏時代の 554年、甘州へと改名される(領域内の甘泉という泉から命名)。水資源も物産も豊富な地ということで、別名、「金張掖」とも称されていた。
北宋時代の 1028年、党項族「李元昊」により西夏が建国される。このとき、現在の張掖市一帯も支配下におさめた。
元代になると、張掖は甘粛行省省会へと改編される。
明代、張掖には隴西行都司と甘粛鎮の役所が設置された。清代には張掖は甘州府の 治所(役所)が設置され、甘粛統軍の駐留地となっている。
なお、この張掖古城であるが、今日では完全に城壁も撤去されてしまっている。しかし、かつての城郭都市の面影は、たくさん残る路地名から生々しく想像できる。北大街、東大街、南大街、西大街、大衛門街、北水橋街、県府街、南城巷、西来寺巷、大佛寺巷、文廟巷、馬神廟巷、水池街。
おそらく、内城と外城の二重構造になっていたであろう。
© 2004-2024 Institute of BTG
|
HOME
|
Contact us