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楡林市
訪問日:20--年-月-旬 『大陸西遊記』~
陝西省 楡林市 ~ 人口 336万人、 一人当たり GDP 69,000 元
➠➠➠ 楡林市内の 城跡リスト ➠➠➠
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長州城(靖辺県城)
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夏州城(統万城、白城子)
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綏州城(綏徳県城)
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銀州城(横山県城)
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紅山(万里の長城、榆林衛)
【 楡林市の 歴史 】
夏王朝、商王朝の時代、榆林市の 北側(現在の 神木、府谷、佳県一帯)は、北方民族「翟族」の版図下におかれていた。周王朝時代に、雍州が設置された際には、この北方民族領の一部も割譲され、その管轄下とされた。
春秋戦国時代を経て、紀元前 221年、秦により中国全土は統一され、 新しい行政統治区として全国が 36郡の行政区に分けられる。戦国時代から秦国の上郡に帰属してきた、この榆林市一帯は、そのまま上郡として一つの郡を形成することになる。
前後漢時代もこの行政区が踏襲されたが、
後漢末の三国時代動乱の最中、かつての上郡と西河郡は 北方民族「匈奴」の領土とされ、中原の歴史に組しない時期であった。
そして東晋時代、と言うより、五胡十六国時代の 413年、「匈奴」により、この地に大夏国が建国される。その王都が、現在に残る 統万城遺跡(中国陝西省楡林市靖辺県)である。別名、白城子とも呼ばれる、この遺跡は、10万人の人員を駆使して 6年間の歳月をかけて、漢代の奢延城を改修させたものらしい。匈奴民族は文字を持たなかっため、その歴史的遺物は一切残されていないが、その唯一の遺構がこの統万城遺跡となっている、ということである。
王都が完成してから、すぐの 427年、北魏により大夏国は滅ぼされ、この一帯の新たな統治機構が、王都跡に統万鎮として開設される。そして、北魏支配下の 488年には、夏州へと昇格されている。
隋代の 583年、夏(その役所は統万城遺跡に開設)、 長(その役所は今の靖辺県内)、綏(その役所は綏徳県城)、銀(その役所は横山県内)の 4州が新設された。
これ以降も、度々、行政区や地名変更が実施される。
明代においては、対北方民族戦線 9拠点(遼東・薊州・宣府・遷西・大同・山西・楡林・寧夏・固原・甘粛)の一つとして、1471年、 「万里の長城」守備兵&予備兵力の駐留施設として榆林衛が設置されている。榆林市街区から北へ 4 kmのところに、紅山長城と呼ばれる、「万里の長城」観光でも有名な一区画がある。この地には鎮北台という、明代の長城で最大の 物見台(狼煙台)があり、かつての重要な軍事施設の遺跡である。
また、楡林市の北部には、「夥(伙)場」という地名を持つ村が多く点在しているが、これは任務中の兵士らが食事や休憩をするための場所であった跡地の名残である。
なお、現在の楡林市街区であるが、ここは明代の万里の長城を守備する兵士らの駐屯地、後衛地となっていたようで、その路地名にいくつか名残を感じる。しかし、ここに城壁を持つ城郭都市があったわけではない。
上の地図にある楡林市靖辺県では、隋代に開設された長県を由来とする 城壁都市があった形跡がその路地名から伺われた。東大街、西大街、南大街、北大街、濱河路、南関街。
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