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双鴨山市
訪問日:20--年-月-旬 『大陸西遊記』~
黒竜江省 双鴨山市 ~ 人口 144万人、 一人当たり GDP 41,000 元
➠➠➠ 双鴨山市内の 城跡リスト ➠➠➠
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一帯は自然公園が複数、整備されている。古城遺跡は無し。
【 双鴨山市の 歴史 】
殷(商)王朝時代、周王朝時代には、古代肅慎族の勢力圏に属した。
前漢時代中期には肅慎族は挹類族へ改称され、南北朝時代の北魏王朝の頃には、挹類族は勿吉族へ変更される。当時、現在の双鴨山市エリアは、この勿吉族の中でも、弗涅部のテリトリーに属した。
隋代、アムール川(黒竜江)流域の東部に勢力圏を張った勿吉族は、靺鞨族へ改称される。この靺鞨族のうち、粟末靺鞨族が他部族を結集して、渤海国を建国する。この時代、渤海国下の 懐遠府(今の
黒竜江省ジャムス市
同江市にある、高力城子廃墟施設あたり)に属した。
遼王朝時代、女真族が集住した五国部の版図下に組み込まれる。そして、この女真族が勢力を拡大させ、遼王朝を倒して金王朝を建国すると、上京路下の 胡里改路(下地図。金代五国頭城 ー 今の
黒竜江省ハルビン市
依蘭県中心部)に統括された。
元代初期には、遼陽行省下の 開元路・胡里改万戸府(上地図。金代五国頭城 ー 今の
黒竜江省ハルビン市
依蘭県中心部)、中期以降は合蘭府下の水達達路に属した。
明代、奴爾干都司下の 弗提衛(今の
黒竜江省ジャムス市
富錦市の西古城)に組み込まれた(下地図)。
清代初期、盛京下の昂邦章京に、1653年には新設された寧古塔下の 昂邦章京(1662年、寧古塔将軍へ改編)に統括された。1676年、寧古塔将軍が寧古塔副都統へ改編され、同時にその行政庁が、吉林烏拉(今の
吉林省吉林市
中心部)から、寧古塔城(今の
黒竜江省牡丹江市
寧安市中心部)へ移転される(下地図)。
1731年11月、三姓副都統が 分離・新設されると、この行政区に移籍される(下地図)。 1757年、寧古塔将軍が吉林将軍へ改編されると、三姓副都統は吉林将軍に統括される。
1906年1月、三姓副都統が依蘭府へ改編され、哈拉蘇蘇(今の
黒竜江省ジャムス市
同江市中心部)へ移転されると、その配下に臨江州が新設される。現在の双鴨山市域はこれに帰属した。 1907年、吉林将軍が廃止され、吉林行省が新設される。
1909年4月、三姓副都統が廃止され、同時に臨江州が臨江府へ昇格される。富克錦の 地(上地図では「富替新」と記載)に、富錦県(今の
黒竜江省ジャムス市
富錦市)が新設されると、現在の双鴨山市エリアはこれに統括される。
中華民国時代の 1913年1月、全国で 道、府、庁、州制が廃止されると、そのまま吉林省依蘭道下の富錦県に属した。
1931年、満州事変(九一八事変)により、日本軍が満州を占領すると、翌 1932年には富錦県一帯も軍事占領されてしまう。日本の統治下にあった 1934年、富錦県は新設されたばかりの三江省に移籍される。中華民国の支配下に戻された 1945年11月、
ジャムス市(佳木斯市)
に合江省が新設されると、これに帰属する。 1946年6月、富錦県の南西部が分離され、集賢県(今の 双鴨山市集賢県)が新設される。翌 1947年、周辺で資源開発が本格化し、双鴨山鉱区が新設されると、人口が急増し、1956年に双鴨山市が新設され、今日に至る。
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