BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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海南省 瓊海市 ~ 人口 55万人、一人当たり GDP 63,000 元


 ➠➠➠ 瓊海市内の 城跡リスト ➠➠➠  クリック

  【初代】楽会県城(今の 瓊海市煙塘鎮泗村)
  【二代目】楽会県城(今の 瓊海市福田鎮鳳頭村、新潮村あたり)
  【三代目】楽会県城(今の 瓊海市博鰲鎮朝陽郷旧県の万泉河沿い)
  【四代目】楽会県城(今の 瓊海市博鰲鎮朝陽郷楽城村、万泉河の中州エリア)
  【初代】会同県城(今の 瓊海市大路鎮)
  【二代目】会同県城(今の 瓊海市潭門鎮の中心部・旧県村)
  【三代目】会同県城(瓊東県城。今の 瓊海市塔洋鎮の中心部)



【 瓊海市の 歴史 】

現在の瓊海市新市郷土吉尾、排嶺坡の一帯で、新石器時代の集落遺跡が発見されたことにより(1983年)、 4,000年以上前に古代人類の生息があったことが証明されることとなった。

時は下って、唐代の 660年、容瓊県(639年に新設。今の 海南省定安県)が分離され、楽会県が新設されると、 県役所が 南管村(黎黑村。今の 瓊海市煙塘鎮泗村)に開設される(瓊州に帰属)。

667年、黎族の反乱により、瓊州配下のうち 臨機県(今の 海南省臨高県)以外の、瓊州城、瓊山県城、会口県城、顔羅県城、容瓊県城、楽会県城の 1州 5県城が落城し、反乱軍に占領されてしまうと、唐朝廷はやむを得ず、臨機県を崖州の州都に定める。 124年後の 789年、嶺南節度使の 李復(739~797年。隴西成紀 ー 今の 甘粛省天水市秦安県 出身。江陵県長官、饒州、蘇州刺史、容州刺史、鄭滑節度使などを歴任し、各所で善政を敷いた行政官として有名)が海南島へ 再上陸し、先の 1州 5県城を再平定すると、瓊州都督府を新設する(791年)。この時、臨機県城に併設されていた崖州都督府が廃止される。また同時に、容瓊県も廃止されると、その旧県域は楽会県に吸収合併されることとなった。下地図。

瓊海市

北宋時代の 1109年、南隣に万安軍が新設されると、楽会県はこれに移籍されるも、 2年後の 1111年、再び、瓊州の管轄下に戻される。

元代の 1278年、瓊州が瓊州路安撫司へ改編される。 1287年、楽会県の県役所が、太平都調懶村(今の 瓊海市福田鎮鳳頭村、新潮村あたり。中国南海博物館付近)へ移転される(引き続き、瓊州路に帰属)。

1291年、湖広行省平章政事に着任したばかりだった 闊里吉思(1251~1311年)が、右丞の廉希恕と共にモンゴル軍を率い、 海南島に上陸してくると、黎族の反乱を平定する。この時、 元朝廷はより直轄統治を強化すべく、楽会県の北西端の、 黎族の 村々 519(住民 20,000戸余り)を分離し、会同県を新設する。 その県役所を 永安都平定郷烏石埇(別称:梁堀村。今の 瓊海市大路鎮あたり)に開設すると(下地図)、 海南島の最高行政庁として設置された 瓊州路軍民安撫司(1329年に乾寧路軍民安撫司へ改編)に統括されることとした。

瓊海市

1294年、楽会県の県役所が、万泉河の 北岸(今の 瓊海市博鰲鎮朝陽郷旧県村)へ移転される。上地図。
1300年、王文河の反乱が発生すると、楽会県の県役所が万泉河の 中州 「楽城島(陰陽山。今の 瓊海市博鰲鎮朝陽郷楽城村)」 へ移転される。上地図。

今度は 1312年、部族リーダー(土酋)の王高が挙兵し、会同県役所を占領、放火すると、 県役所は 太平都斗牛郷(今の 瓊海市潭門鎮の中心部・旧県村)へ再移転される全国で戦火が絶えなかった元代末期の 1350年ごろ、最終的に県役所は 端趙都牛角墩(今の 瓊海市塔洋鎮の中心部)へ引っ越しされる。上地図。

明代の 1368年、会同県、楽会県ともに 瓊州(1370年、瓊州府 へ昇格)に帰属する。下地図。
清代も、この明代の行政区が踏襲される。

瓊海市

中華民国初年の 1912年、会同県と楽会県ともに、瓊崖道(後に広東省へ編入。道都は、瓊山県城が兼務 ー 今の 海南省海口市瓊山区)に帰属する。1914年、湖南省辰沅道下にあった 会同県と県名が重なったことから、瓊東県へ改称される。

1950年4月25日、瓊東県と楽会県ともに共産党軍が占領すると、同年 7月、瓊東県の県役所が今の 瓊海市中心部(嘉積鎮)へ移転される。 1958年12月21日、瓊東県、楽会県、万寧県の 3県が合併され、瓊海県が新設される。 (県都はそのまま嘉積鎮が継承。海南島の東海岸に位置したことに由来)。 しかし、翌 1959年11月1日、万寧県(1996年8月5日、万寧市へ昇格) が分離されると、現在の行政区が確定することとなった。 1992年11月に瓊海市制がスタートし、今日に至る。


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