BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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内モンゴル自治区 フルンボイル市 ~ 人口 255万人、 一人当たり GDP 57,000 元


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  フルンボイル城



【 フルンボイル市の 歴史 】

フルンボイル市は、域内にあるフルン湖とボイル湖とから命名されている。地図上でも明らかな通り、同市の持つ地理的特徴はおもしろい。すなわち、モンゴル、ロシアの両国と長い 国境線(両者合計 1,723 km)を接するロケーションという点である。これにあわせて、市内銀行では ロシア・ルーブル口座を開設できるところもある。

さて、この地の歴史であるが、地理的隔絶もあり、中国本土史の影響が薄いものとなっている。

紀元前 209年、匈奴族により東胡族が征服され、北方草原地帯は匈奴族により統一される。フルンボイル市一帯は左賢王によって統治された 3領土のうちの一つに帰属する。
しかし、紀元前 1世紀ごろ、オロチョン民族系の鮮卑族がフルン湖まで勢力を伸ばし、匈奴族の領土を奪取し、 鮮卑部落聯盟を建国するに至る。 後に、この勢力が中原へ侵入し、北魏王朝を立てる。中国での少数民族による王朝建国の第一の例となった国である。

その後も、鮮卑人の残留勢力や 突厥、契丹、女真族などの北方騎馬民族は度々、強大化しては、中原へ進出し、漢民族の王朝を脅かす勢力であり続けた。そして、紀元前 8世紀ごろからは、モンゴル族も南下を開始し、遊牧民族としてこの地域まで出入りするようになる。そして、12世紀にチンギスハンが登場し、このフルンボイル市一帯で割拠していた諸部族を平定し、モンゴル帝国の版図に組み入れていく。その統治制度として、領戸分封制が導入されたという。
チンギス・ハーンは、その次弟の ジョチ・カサルに、モンゴル高原の東側であるフルンボイル市一帯の草原地帯を分与し、統治させている。現在のアルグン市にある黒山頭古城跡が、ジョチの居城であった場所である。その他のモンゴル高原東部は、三弟であるカチウンへと分配されている。
3代目皇帝の頃になると、モンゴル帝国も統一性を欠き、一時的にこの地は女真族の金王朝に占領されるも、中国大陸にてフビライの元王朝が建国されると、 この一帯はすぐにフビライ勢力圏に帰属し、元王朝下の行省制度に組み込まれた。

フルンボイル市

清朝時代、この地域のモンゴル族残留部族はブトハ八旗兵などに編成され、ロシア国境を防備するための兵士として活用されることになる。
中華民国初期は、黒竜江省に入っていたが、1920年に自治区となった。

フルンボイル市

清朝末期に北方国境の最前線拠点として、簡単な城壁都市が建造されていたようである。遺跡として、かつての役所門跡の「フルンボイル副都統衙門」が市内にある。また、路地名はほとんど消滅してしまっているが、大通りとしてのみ残存していた。北大街、東大街、西大街。


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