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オーストリア共和国 ザルツブルク州 ザルツブルク市
訪問日:2014年2月中旬 『大陸西遊記』~
オーストリア共和国 ザルツブルク市 ~ 市内人口 15万人、一人当たり GDP 40,000 USD(全国)
➠➠➠ 見どころ リスト ➠➠➠
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ホーエンザルツブルク城塞の 今と昔
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最盛期の城塞全景 と 城壁都市
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現存する長城壁 と 市街壁
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ミラベル宮殿 と モーツァルトの生家
ザルツブルク
といえば、この城、ホーエンザルツブルク城塞。市内のどこからでも見える山上の巨大要塞である。
山上まではトラムがあり、片道 7.3 EUR(往復で 11ユーロ)。 時間的に余裕がある場合は、登りのみトラムを利用し、下りは徒歩が理想的であろう。城郭を別の角度から楽しむことができる。
下の絵図は、年代ごとに増築されていった山上要塞の移り変わりを示している。
この山の頂上部分は、時代とともに掘削されて、平面化されていったわけであるが、標高が最も高い地点のみ、地面の岩肌が露出されていた。城内観光の折、視察できる。もともと崖山であったのだろう。
下は、最盛期の
要塞絵図
。
これだけの城壁都市であったが、実際に籠城戦で使われたのは、1525年に勃発したドイツ農民戦争の際の一回だけであった。このときの城塞全景は、右上絵図の 1515年当時のものだった。ホーエンザルツブルク城塞は農民軍の攻撃をしのぎ切っている。
次に戦争の危機に直面したのが、ナポレオン率いるフランス軍の オーストリア侵攻時(1800年)であった。しかし、このとき、大司教はウィーンへ逃亡してしまい、城塞都市は無血開城している。 当時、欧州最強と謳われたナポレオン軍との全面戦争に関する「歴史のもし」を、ついつい妄想してしまうのは筆者だけではあるまい。
当時すでに、Ⓚの城塞部分を含む丘陵地帯全体が要塞化されていた。
下の写真は、上絵図の Ⓗの箇所(赤矢印)から撮影したもの。
このあたりは地元民のピクニック広場のようになっており、くつろぐ地元民がたくさん見られた。観光客はあまり来ないスポットなのだろう。
また、下の写真は、城塞から上絵図内の Ⓖと Ⓕの方向を見たものである。
下は、同じ方角を臨んだ模型。
この
丘陵部分
にも、長い城壁や要塞などが所々に配置されていたことがわかる。
下の写真 2枚は、現存する長い城壁部分である。
ちょうどこの真下が、モーツァルト・コンサート会場となっている場所だ。
城壁の外から少し離れた場所に、エレベータ設備があり、そこからのホーエンザルツブルク城の写真撮影が定番となっている。下写真。
また、ザルツブルクの町は、他の欧州の都市と同様に、周囲を城壁と堀に囲まれた要塞都市であった。今でも川の対岸部分に城壁が残る(丘下の修道院の外壁を兼ねる)。下写真。
下の絵図は、かつての城壁都市時代の様子を描いたものであるが、 赤丸の部分は今日、土塁公園として保存されている。
赤矢印の方向からホーエンザルツブルク城塞を見たものが、下写真左。ちょうと
ミラベル宮殿
と庭園の真正面にあたる。
上の写真右は、モーツァルトの生家跡。音楽家の間では、聖地となっている。
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