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オーストリア共和国 オーバーエスターライヒ州 リンツ市
訪問日:2014年2月中旬 『大陸西遊記』~
オーストリア共和国 リンツ市 ~ 市内人口 19万人、 一人当たり GDP 40,000 USD(全国)
➠➠➠ 見どころ リスト ➠➠➠
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リンツ城館
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リンツ城 エピソード
リンツ中央駅
より、 ドナウ川対岸の新開発区側へ路面電車が走る。この線路上の道路であるラント通りがリンツ市の繁華街となっている。 この通りを徒歩で 20~30分ぐらい進むと、古城地区に入る。途中、巨大なマリエン大聖堂が見える。
下は、かつての古城時代の模型。ドナウ川を利用して水堀が巡らされていた。 こじんまりした城郭都市であった。
リンツ城
は、1529年の オスマン・トルコ軍による第一次ウィーン包囲の際、 時のオーストリア皇帝であったカール 5世に代わって、実弟フェルディナントがウィーンの守備と統治を委ねられていたわけであるが、 大軍勢のトルコ軍に対抗すべく、 欧州諸侯への救援要請のため、急遽、ウィーンを離れて、150 km西にある当リンツ城へ逃亡している。
最終的には冬の到来でトルコ軍は撤退に追い込まれ、欧州世界を震撼させたオスマン帝国軍の侵攻は断念されることとなった。
また当地は、神聖ローマ皇帝マクシミリアン 1世の父である、同じく神聖ローマ皇帝のフリードリヒ 3世(1415年9月21日~1493年8月19日)が晩年を過ごし、死去した場所でもある。
ドナウ川の河畔に築城され、小高い丘の上に宮殿が構えられていた(上写真)。 そびえたつ宮殿は、現在、歴史博物館に転用されている。
上写真は宮殿の丘の部分に残る城壁。城門や城塔も保存されていた。
下写真左は、ドイツ出身の天文学者である ヨハネス・ケプラー(1571年12月27日~1630年11月15日)が州数学官としてリンツで教鞭を取ったことに関連し、その記念の銅像が建立されていた。
上写真右は、リンツ中央駅前のマンション開発地区。駅周辺は不動産投資ブームの様相を呈していた。
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